神戸地方裁判所 平成3年(行ウ)13号 判決 1993年2月22日
原告 小林邦人
右法定代理人親権者父 小林哲男
同母 小林みさ子
原告 米村雅雄
右法定代理人親権者母 米村京子
原告 石和利昭
右法定代理人親権者母 石和和子
原告 岡本拓郎
右法定代理人親権者父 岡本隆志
同母 岡本玲子
右原告ら訴訟代理人弁護士 吉川正昭
同 坂本文正
同 野口勇
同 佐々木健
被告 神戸市立工業高等専門学校長 村尾正信
右被告訴訟代理人弁護士 俵正市
同 重宗次郎
同 苅野年彦
同 草野功一
同 坂口行洋
同 寺内則雄
同 小川洋一
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求の趣旨
被告が原告らに対し平成三年三月二五日付けでした進級拒否処分をいずれも取り消す。
第二事案の概要
被告は、信教上の理由により体育における剣道実技の履修を拒絶した原告らについて、体育の単位を認定せず、原告らに対して第二学年への進級を拒否する旨の処分をした。そこで、原告らは、被告が、信教上の信条に反するために参加できない原告らに剣道実技の履修を強制し、それを履修しなかった原告らに代替措置を採らずに欠課扱いをして体育の単位を認定せず、原告らを原級に留置する処分までするのは、信教の自由を侵害するものであり、信条による不当な差別を禁じて教育の機会均等をうたった教育基本法三条、九条一項、憲法一四条に違反し、ひいては原告らが神戸市立工業高等専門学校(以下「神戸高専」という。)の学生として教育を受ける権利や学習権を侵害するもので違憲違法であると主張して、右各処分の取消しを求めた。
一 前提事実(処分の存在及びそれに至る経緯等)
1 当事者及び処分の存在等(当事者間に争いがない。)
(一) 原告らは、いずれも平成二年四月一〇日に神戸高専に入学し、後記の処分当時、原告小林邦人は電気工学科に、同米村雅雄は応用化学科に、同岡本拓郎は機械工学科に、同石和利昭は電子工学科の各第一学年に、それぞれ在籍していた者であり、被告は、同校の校長である。
(二) 被告は、平成三年三月二五日、原告らに対し、神戸高専の第二学年に進級させない措置(以下「本件処分」という。)をした。
2 処分に至る経緯等
(一) 神戸高専においては、進級の認定を受けるためには当該学年において習得しなければならないとされている科目の全部について不認定のないことが必要である(学業成績評価及び進級並びに卒業の認定に関する規程(以下「進級等認定規程」という。)一二条)。そして、科目が不認定とされるのは、科目担当教員が、生徒の学習成績(学習態度及び出席状況等の総合評価)と試験成績とを総合して一〇〇点法で評価した学業成績(進級等認定規程五条)が五五点未満の場合である(進級等認定規程八条)。そして、不認定が一科目でもあるため進級を認定されない者は、原級措置とされ、その学年の授業科目全部を再履修することとなる(進級等認定規程一四条)。
なお、休学による場合のほか、連続して二回原級にとどまることはできず(進級等認定規程一五条)、校長は、連続二回原級に留め置かれた者に退学を命じることができる(退学に関する内規、神戸市立工業高等専門学校学則(以下「学則」という。)三一条)。(当事者間に争いがない。なお、<書証番号略>)
(二) 神戸高専において、保健体育(以下、単に「体育」という。)は、全学年において必修科目とされ、各学年につき二単位ずつ割り当てられている。
同校では、平成二年度から第一学年の体育の課程の種目の中に剣道を取り入れた。剣道は、同年度において、クラスにより、第一学年の前期又は後期のいずれかに実施されたが、剣道には、いずれのクラスにおいても、各期のうち七〇点が配分され、したがって、その配点の割合は、第一学年の体育全体の三五パーセントを占めていた。(<書証番号略>、被告本人尋問の結果)
(三) 原告らは、いずれも「エホバの証人」と呼ばれるキリスト教信者であり、聖書中の「できるなら、あなたがたに関する限りすべての人に対して平和を求めなさい。」「彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない。」などの教えに基づき、絶対的平和主義の考えを持ち、格技に参加すべきではないと確信していた。そこで、原告らは、剣道を実技種目とする体育の授業時間について、当初の準備運動には参加したものの、その後の剣道の実技については、武道場の隅で自主的に見学するだけで、参加しなかった。
学校側では、原告ら及びその保護者に対し、剣道の実技を受講するよう説得したが、原告らはこれを受け入れるに至らなかった。(<書証番号略>、原告小林邦人及び被告各本人尋問の結果)
(四) 原告らは、前述のように剣道の実技に参加しなかったことなどから、平成二年度の剣道を含めた第一学年における体育全体の成績について五五点未満(原告小林邦人は四二点、同米村雅雄は五二点、同岡本拓郎は五〇点、同石和利昭は四四点)と評価され、いずれも体育の単位が認定されなかった。
そこで、学校側は、進級認定会議を経て、原告らを含む六名の体育不認定者に対する救済措置として剣道の補講を実施したが、原告らがこれを受講しなかったため、被告は、平成三年三月二五日、前記規程に基づき、原告らを第二学年に進級させない旨の措置をした。(<書証番号略>、被告本人尋問の結果)
二 争点
本件の主な争点は、(1) 本件処分は司法審査の対象になるかどうか、(2) 本件処分は行政処分かどうか、(3) 本件処分が違法かどうかであるが、(3) の前提として、<1>剣道を必修としたことの可否、<2>被告が原告らの体育の単位を認定しなかったことの可否、<3>被告が原告らに対し代替措置を採らなかったことの可否、が問題になる。
第三争点に対する判断
一1 被告は、高等専門学校の校長が学生を従前の学年に留置するかどうか及びその前提となる単位を認定するかどうかは、一般市民法秩序と直接関係のない教育上の措置であり、かつ、高度の教育的、専門的評価に関する措置であって、司法審査の対象とはならず、本件訴えは不適法であると主張する。
2 しかし、本件処分は、原告らを神戸高専の第一学年に留め置くもので、それ自体は学校の内部処分であっても、それにより、原告らは、第一学年の授業科目全部を再履修することになるだけでなく、第二学年における教育を相応しい時期に受けることができなくなるなどの不利益を受けるのであり、このような不利益は、単に学校内部の問題にとどまるものではないから、一般市民法秩序と直接の関係を有するということができる。また、その処分の前提となる単位の認定をするかどうかの点についても、後記のとおり、一科目でも単位不認定のあることが、そのまま本件処分に直接結びつくものである以上同様である。
3 したがって、本件処分は、一般市民法秩序と関係のない教育上の措置として自律的に処理すべき事項とはいえず、司法審査の対象とならないという被告の右主張は採用できない。
二 本件処分は行政処分かどうかについて
1 被告は、本件処分(但し、被告は、原級留置処分と称している。)は行政処分に当たらないと主張する。
2 しかし、この措置によって、原告らは前述のような不利益を受けることになり、原告らは神戸高専において本来予定されていた時期に第二学年の教育を受ける権利を制約されたのであるから、本件処分は行政処分であると解するのが相当である。
三 本件処分が違法かどうかについて
1 原告ら及び被告は、本件処分について、それぞれ次のように主張する。
(一) 原告ら
(1) 憲法二〇条一項は、信教の自由を保障している。神戸高専の学生も又信教の自由を含む基本的人権を享有するものであり、これらの人権は、教育の場においても尊重されなければならない(教育基本法一条)。
(2) 憲法が保障する信教の自由には、内面的な信教の自由だけでなく、信仰告白の自由、宗教儀式の自由、宗教結社の自由、宣伝布教の自由等が含まれる。このような内容を有する信教の自由を保障することは、公権力によってこれらの自由を制限されることなく、それらを理由にいかなる不利益をも課してはならないことを意味している。
信仰の自由が内心にとどまっている場合にはその保障は絶対的であるが、そのような場合だけでなく、信仰に基づいて国法上義務づけられた行為その他の行為を行うことを拒否した場合にも、その法的義務が実質的にみて重大な公共の利益に仕えるものであったり、あるいは、それによって他人の人権を制限する結果をもたらすものでない限り、これに対してなんらかの不利益を課すことは、信教の自由の侵害として許されない。
(3) 国家行為と信教的信条や信仰告白とが低触衝突する場合、当該国家行為の違憲審査基準として<1>国家行為の高度の必要性(信教の自由を侵害してでも強行されなければならないほどの必要性、それが実質的な公共的利益を実現するため必要不可決なものか否か。)、<2>代替性の有無(仮に国家行為が高度の必要性に基づくものであっても、それが同じ目的を達成するために代替性のない唯一の手段か否か。)、<3>国家行為による侵害の性質及び程度、侵害される宗教上の利益の重要性の程度の比較衡量、<4>その他当該宗教的行為自体が他の国民の権利を侵害するものか否か、の各要件が審査検討されるべきである。
(4) 本件について右の各要件を検討すると、次のとおりである。
<1> 体育履修の目的は「各種の運動を合理的に実践し、運動技能を高めるとともに、それらの経験を通して、公正、協力、責任などの態度を育て、強健な心身の発達を促し、生涯を通じて継続的に運動を実践できる能力と態度を育てる。」(学習指導要領)ことであるが、このような目的から、剣道実技強要の必然性は導き出せない。現に、神戸高専においても平成二年度までは剣道がカリキュラムに組まれていなかったのである。神戸高専は、工業専門学校として工業等の技術を重んじているのであって、警察学校でも体育学校でもない。また、参考とすべき高等学校学習指導要領においては、従来必修とされていた格技が選択制に変更されることになったことからみても剣道実技の履修の必要性は認められない。
したがって、原告らの信教の自由を制約する国家行為の高度の必要性は認められない。
<2> 原告らは、被告に対し、再三再四剣道実技拒否の理由を説明するとともに、剣道実技に代わる代替授業の実施を求めてきたが、被告は一顧だにしなかった。因みに、東京、大阪、奈良など全国の多くの高専、高等学校では代替措置により、進級卒業を認めている。また、原告らは剣道実技には参加しなかったものの、級友の行う剣道実技を見学していたのであるから、身体上の障害を理由として実技に参加できず見学していた人に準じて評価すべきである。このような場合、見学の実績があれば、後日当該見学者にレポートの提出を求め、少なくとも科目認定に差し支えのない何らかの評価を与えるのが通例である。原告らの一部の者は、剣道実技見学の後自主的にレポートを作成し提出しようとしたが、その受領さえも被告に拒否され、そのため、他の者はレポートを提出しなかった。
したがって<2>の代替性も存する。
<3> 本件処分は当該学年の全授業科目の再履修を要求するものであり、体育以外、比較的優秀な成績で単位取得した科目まで再履修を課せられる無駄と余分な教育費の支出、時間の空費という著しい不利益、更に来春同一の理由で再度体育科目が欠点とされる蓋然性(原告らの剣道実習拒否の理由が、信教上の確信に基づく以上、再度第一学年の課程を履修したとしても、再び留年する可能性は極めて大きい。)も高く、そうすると連続して二回原級にとどまることはできないとの定めにより退学を余儀なくされるという不利益を受けることが考えられる。
被告は、留年を前提として、六五点のうち五五点以上獲得するよう努力すればよいというが、それは配点のうち八五パーセント(平成二年度の電気工学科の第一学年学業成績によれば、八五点以上獲得した学生はいない。)以上獲得しなければならないことになり、自らの信教を貫徹できるのはずば抜けた運動能力の持ち主だけということになり、背理である。
また、武道を強要されることは、原告らの宗教信条に反し、著しい良心の呵責を受けることになる。
剣道を行わないという信念は、「エホバの証人」の教え(聖書の原則)の基本原理から派生したものであり、信仰の重要な内容を形成している。剣道実技不受講は、原告らの信仰生活全体から帰結されるものであり、それを認めないことは、原告らの信教の自由を全面的に否認することに等しい。したがって、剣道履修の義務づけは、宗教的禁止事項を行わせて、原告らに戒律を侵させることを要求することになる。本件で、剣道の実技を原告らに義務づけることは、原告らに対して極めて重大な自由の抑圧をもたらすことになる。原告らは、進級するために信仰に反して剣道実技を受講するか、それとも、信教の自由を実践して剣道実技を拒み、進級拒否という不利益を甘受するか、厳しい選択を迫られてしまうのである、よって、原告らの信教の自由は根本的に侵害されているといわなければならない。
以上のことに加えて、本件での神戸高専の措置は、道場で座って見学していた原告らを、剣道実技に参加していなかったもの(欠席)として扱い、もって体育の単位を認定せずに信教の自由を拒否したものである。したがって、被告の本件処分は原告らの信仰を高度に侵害したものである。
したがって、<3>については、原告らの受けた不利益は大きいということができる。
<4> 原告らが剣道実技を拒んだとしても、クラスとして剣道の授業を行うことができなくなったとか、他の学生が正当な理由なく実技を拒否して収拾ができなくなったという事実は少しもない。また、他の学生が身体上の理由以外の理由で、体育の授業を受けられないということを教師に申し出た例はなく、原告らが宗教上の理由から剣道実技を行わないことについて、他の学生たちが原告らのことを悪く言ったり、うらやましがったりしていない。平成四年度に、剣道実技を行わなかったエホバの証人の学生が数名進級したが、それでも他の学生達の間に混乱や教育上の弊害が生じていない。このように、弊害が存在しないことは、信教上の理由で格技のできない学生・生徒に対して救済策を実施している他の高等学校・高等専門学校においてもいえることである。
(5) 以上のとおり、神戸高専において剣道の履修を強制する高度の必要性はなく、また、剣道でなくても同じ目的を達成することは可能であり、本件処分によって侵害される宗教上の利益は重大であり、原告らが剣道実技の履修を拒んだことが他の国民の権利を何ら侵害するものでないのであるから、いずれにしても、本件処分は違憲というべきである。
(6) 一般論として、教育機関において、ある科目につき単位を認定するかどうかは、担当者の極めて専門的かつ教育的な価値判断に属する行為であることから、専門的、教育的な領域において裁量権が認められるが、その裁量権の行使に逸脱又は濫用があると認められるときには、右単位の不認定が違法とされる。裁量権の制約の最大のものは憲法の規定であり、行政行為一般の違憲審査は、本来、法律による行政の原理の下で、司法審査の方法ないし限界である行政裁量論に優先してなされるべきであって、違憲審査を行政裁量の下位に従属させてはならない。
神戸高専において、平成二年四月から体育科目の中に剣道が取り入れられたが、かねてよりエホバの証人の学生らが本校に多数入学して来ることに懸念を抱いていた被告は、右剣道を体育科目に採り入れることにより、エホバの証人の学生たる原告らを神戸高専から排除しようと企図し、あるいは排除することになってもその方が望ましいものであると認識して、予想通り原告らが剣道実技の履修を拒むや、表面上は、繰り返し説得活動を継続していたとしても、原告らが聖書の教えを遵守する以上翻意は望むべくもないということを知悉しつつ、原告らのひたむきな代替措置を求める声に対し、他校で広く行われている代替授業が眼中になく、これを安易に拒み、原告らが体育科目について欠点しか獲得できない状況を作出し、その結果剣道実技未了という不作為に比して、余りにも均衡を欠く留年処分をしたものであって、これは被告に与えられた裁量権の著しい逸脱濫用といわざるを得ない。
(二) 被告
(1) 神戸高専における剣道の授業は、学校教育法、同法施行規則に従い、高等専門学校設置基準、高等学校学習指導要領を参考にして、体育の授業のなかの一種目として取り入れたものである。このように、高等学校においても必修である格技の種目として選択することができ、健全なスポーツとして大多数の一般国民に広く受け入れられている剣道を体育の授業の中の一種目として行うことを決定した神戸高専の措置には何ら裁量権の逸脱も濫用もない。
(2) 原告らは信教上の理由から格技を拒否しているという。
しかし、剣道は、体育の内容として、敏捷性、巧ち性の育成、瞬発力の育成、持久力の育成、正しい姿勢の育成などの身体的な側面及び気力の育成、集中力と決断力の育成、礼儀の育成、自主的精神の育成などの社会的態度発達の側面における優れた体育効果を持ち、また、格技と分類されてはいるが、竹刀を使って行うスポーツであり、こんにち剣道を日本刀を使用するための武技などと考えている者はいない。こんにちの戦闘における個人装備の武器は銃であるし、個人間の格闘のためであれば、柔道やレスリングなど徒手のより有用な武技がある。
このような剣道を原告らがその信教に基づいてどう評価するかは、原告らの自由であるが、そのような評価は一般には通用しないものであり、前記高等学校学習指導要領等にも体育の内容として相当なものとして剣道が挙げられており、このことは、剣道が体育の内容として相当であることを公に認知しているものということができる。
公教育を行っている被告に対し、原告らの特定の信教を押しつけ、公教育のあり方を曲げることは許されることではない。
(3) 剣道の授業は宗教的には無色の行為であるから、それを行うことが憲法二〇条二、三項の宗教上の行為に参加を強制したり宗教教育、宗教的活動を行うことにはならないことはいうまでもない。
また、原告らがその信教上剣道をどう評価するかは自由である。原告らはその信教上の理由によって剣道の授業を受けなかったために、体育の授業の総合評価において所定の点数に達せず、進級できなかったまでである。被告は、原告らが進級できるよう誠意をもって再三説得を試みたが、原告らの信教上の自由に干渉したことはない。
原告らに対する措置をもって信教の自由を保障した憲法二〇条に違反するとすることは全く理由がない。
(4) 逆に、原告らを信教上の理由によって、授業につき特別扱いすることは、公教育を行っている被告が学生の信条によって差別扱いすることになり、憲法一四条、教育基本法九条二項に違反することになる。
(5) 原告らの信教の自由に関する考え方は、基本的に信教の自由がどのような場面においても全く制約を受けないとの誤った前提に立つものである。確かに、信教の自由も、内心にとどまっている限りは、何の制約も受けないものである。しかし、信教の自由も、外部に表出され、何らかの行動を伴うようになると、他人の人権や諸種の義務等との緊張・衝突関係を生じ、それによってある程度の制約を受けることは、当然に予定されていることであり、その制約は基本的人権に内在する制約である。このことは、日本国憲法一二条に「・・・又、国民はこれ(この憲法が国民に保障する自由及び権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」と規定され、同一三条に「・・・生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と規定されていることからも明らかである。
本件の場合においても、原告らがどのような宗教を信仰するかは、全くの自由であり、被告も、原告らに対しエホバの証人の信者であることを止めるように強制しているわけでもなく、剣道の授業の受講を強制したこともない。ただ、学校で勉学を継続し、単位を取得し、進級していくためには、そのルールを守るべきであり、そのルールに反して剣道の授業の受講を拒否すれば、それによって発生する効果、すなわち、受講を拒否した部分について学業成績の評価が〇点になるという不利益は、当然自らがその責任において負担する筋合いのものである。要するに、原告らの主張は、信教の自由を根拠にすれば何をしても許されるという、到底受け入れられない極めて偏った議論である。
(6) 神戸高専は、地方公共団体の設置する学校であって、そこでは公教育が行われており、また、高等専門学校は、深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的としており、義務教育ではない。
なお、学校教育はその性質上、定額の予算をもって、定数の教職員により、現行法制下で予め編成された教育課程によって、集団的教育を行っているものであることを考慮する必要がある。
神戸高専は義務教育を実施するものではないから、学生は授業を受けない自由、進級しない自由、退学の自由を有している。他方、被告は、学生に対し、授業を受けないために、授業科目の履修について到達度が不十分と評価した者の単位を認定しない措置、進級を認定しない措置、学校教育法施行規則一三条三項各号に該当する学生に対し退学処分をする権限を有している。
原告らが信教上の理由により特定授業の受講を拒否することは自由であるが、その結果、現行法制下で単位不認定、進級不認定の結果を招来するのも、まことにやむを得ない結果である。教育を受ける機会は与えられたが、原告らがそれを拒否したのであり、その責めは原告らが負うべきものである。
(7) 原告らは代替措置を講ずべきことを主張するが、被告としては次の理由からこれに応じるわけにはいかない。
<1> 原告らを信教上の理由で特別に扱うことは、公立学校において信教上の理由で学生を差別扱いすることになり、逆に平等取扱いの原則や宗教教育の禁止の精神に反する結果となる。
<2> 代替措置を講ずることは、予算、教員数の関係から困難であるとともに、個人的理由により代替措置をすることを認めるときは、学生から、他の場合にも代替措置を認めよという要求を生む結果となる。
また、体育は、体を動かすことによって教育効果を上げる授業であるから、病気でないのにレポートをもってこれに代えることはできない。
<3> 明白かつ現実に教員の指導、説得に従わない学生に対し、他の学生同様単位を認定するときは、学生全体に対する規律の維持ができなくなる。
教育は、一定の規律の下でその効果を上げ得るのであり、集団教育の中で規律が無視されると、教育はその効果を上げることができなくなる。
(8) 原告らは、宗教上の寛容をいうが、現在の法制下、公立学校たる神戸高専で原告らに対し、既に詳述した理由から単位を認定できないことは、まことにやむを得ない措置である。
逆に、原告らは、公立学校の集団教育の場で、指導拒否の悪例を他の学生に公示し、神戸高専の秩序と教育効果に悪影響を与えていることを省みない。
被告は、これに対し辛抱強く再三誠意をもって説得し、補講まで用意するとともに、原告らの規律違反に対して何らの懲戒処分を行っていない。このことは、被告の寛容の態度の表れというべきである。
2 ところで、学年制を採っている神戸高専において、学生の進級は、学生が当該学年において習得すべき事項を習得したと認定された場合に認められるものである。このような成績の評価に関連する判断は、高度に技術的な教育的判断であるから、その判断は、直接教育に携わっているものの教育的、技術的な裁量に任されているものと解するのが相当である。
したがって、校長がする進級拒否処分は、進級の要件の有無の判断が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるか、あるいは教育的な見地からみて社会観念上著しく妥当を欠き判断権者に任された裁量の範囲を超えるものと認められる場合を除き、判断権者の裁量に任されているものと解することが相当である。そして、原告らが主張する諸要素は、この処分について校長に裁量権の逸脱又は濫用があるかどうかの判断の諸要素の一部として考慮するのが相当である。
3 剣道を必修と定めたことについて
(一) 原告らは、信教上の信念によって格技の実習に参加することができないと確信している原告らに対して被告が格技の実習への参加を強制したため、原告らの信教の自由が侵害されたと主張する。
憲法二〇条に規定されている信教の自由は、基本的な人権として、内心にとどまる限りその保障は絶対的なものといわなければならない。
しかしながら、本件のようにそれに基づいて法的義務や社会生活上の義務の履行を拒絶するなどそれが外形的行為となって社会生活と関連を有する場合には、宗教に対し中立的な一般的法義務による必要最小限の制約を免れることができないこともまたいうまでもない。
ところで、神戸高専が原告らに対して剣道実技の履修を求めたのは、同校においては、体育は必修とされていて、その体育において一年時に履修すべき種目のひとつとして剣道が選択されていたからである。そこで、神戸高専では、どのような根拠に基づいて、学生に対し剣道実技を必修として課しているのかについて検討する。
(二) 証拠によれば、神戸高専における授業科目及び単位数について、次の各事実が認められる。
(1) 高等専門学校においては、高等専門学校を所轄する文部大臣(学校教育法七〇条の一〇、六四条)は、その教育課程の大綱として高等専門学校設置基準(以下「設置基準」という。)を定めているほかは、高等学校における学習指導要領に相当するものは存在せず、これを各高等専門学校で具体的に展開していく際の参考とするため、昭和四三年三月に行政指導という形で示された高等専門学校教育課程の標準(以下「教育課程の標準」という。)及び昭和五一年七月二七日に出された「高等専門学校の設置基準及び学校教育法施行規則の一部を改正する省令について」という文部省大学局長通達(以下、併せて「通達等」という。)があるにすぎない。
設置基準において授業科目として列挙されている体育の種目中に柔道、剣道等の格技も掲げられているが、そのいずれを採用し、それに対してどの程度の点数を割り当てるべきかを定めた規程は、右設置基準はもちろん、教育課程の標準や大学局長通達の中にも存在しない。(<書証番号略>、被告本人尋問の結果)
(2) 神戸高専においては、かねてから剣道の実施を検討していたが、舞子台の校舎には武道場が整備されていなかったため、昭和六〇年ころから武道場を整備する計画があったものの、平成元年度までは剣道の授業は行われていなかった。神戸高専は、平成二年度に従前の舞子台から学園都市の新校舎に移転することになったが、新校舎では武道場が整備され剣道の授業が可能になるので、同年度から体育の一種目として剣道実技を実施することにした。(<書証番号略>、被告本人尋問の結果)
(3) 神戸高専では、武道場の実施計画に着手した昭和六二年度以降、入試説明会において、新校舎移転後は格技を実施することを明らかにし、被告が阪神間の各中学校を学校紹介等のために訪問した際にもそのことを説明してきた。また、平成二年度からは同校の学生募集入学願書類にも、同年度から剣道の授業を実施することを掲載した。(<書証番号略>)
(三) 以上の事実によれば、第一に、高等専門学校において一般科目として体育を必修することは、設置基準に基づくものであり、本件高専において、体育を必修としたことも設置基準に合致するものと認められ、この点について、特に違法不当な点を窺うことはできない。
(四) 次に、その体育の種目のひとつとして剣道を選択したことが違法か否かをみるに、必修科目である体育の授業の教育内容をどのようにするかについて、教師に完全な自由を認めることができないのはいうまでもないが、他方、教育的な見地からの専門的価値判断が必要な行為でもあるから、一定の範囲内で教師側の裁量が認められることも否定できない。
また、前記認定事実によれば、高等専門学校において、体育の種目として何を採用すべきか、その採用した種目に対しどの程度の点数を割り当てられるかについては、各高等専門学校の自主的判断に委ねられているものと解することができる。
(五) これに対し、学校教育法四三条、同法施行規則に基づいて文部大臣が告示した現行の昭和五三年の高等学校学習指導要領(以下「現行要領」という。)においては、格技は、主として男子に各学年で一つを選んで指導するものと規定し、現行の高等学校学習指導要領の特例により、それによってもよいとされる平成元年の高等学校学習指導要領(以下「新要領」という。)には、種目の選択の際には武道かダンスのどちらかを含むようにすることが規定され、また、現行要領と新要領のいずれにも格技(武道)の種目のひとつとして剣道が規定されている。(<書証番号略>)
(六) このように、高等専門学校と高等学校との間において、履修すべき教育課程の内容等につき文部大臣の指針に差が見受けられるのは、普通教育を行う高等学校に対し、設置された歴史も新しく、かつ、科学技術の絶えまない進展を常に取り入れていかなければならない高等専門学校の教育課程については、具体的かつ詳細な指導要領を不変のものとして定めるよりも、その大綱を示し、その中で各学校毎に時代に即応した適切な指導を行うことができるようにし、もって、高等専門学校教育の充実を図ろうとしたものであると考えられる。このように、文部省の指針に差が見受けられるとしても、体育等の一般科目については、高等学校と高等専門学校との間で、後期中等教育における普通教育を行うという点では共通のものと考えられるから、その内容面において、高等学校の学習指導要領に定められているところを、高等専門学校において参考とすることも決して誤りではない。
(七) 前述のとおり、高等学校においても格技(武道)を選択することができると定められているうえ、剣道は、それ自体宗教と全く関係のない性格を有し、健全なスポーツとして大多数の一般国民の広い支持を得ているのは公知の事実であるから、その剣道を、文部大臣から示された教育課程の標準を参考にして必修科目とした神戸高専の措置自体には、何ら裁量権の逸脱を認めることはできない。
なお、原告らは、現行要領では格技は必修となっていたが、新要領では必修科目でない取扱いができるようになったので、この改正には十分留意すべきであると主張する。しかし、そもそも、高等学校学習指導要領は高等専門学校においても参考とすることが誤りでないというにすぎないのであるから、高等専門学校において高等学校学習指導要領の変更内容をそのまま取り入れなかったからといってその措置が直ちに違法になるものではない。
(八) また、前記認定事実によれば、神戸高専においては、従来は剣道の授業は行われておらず、平成二年度から新たに採用されたものではあるが、これは、神戸高専においては、剣道導入の意思はあったものの剣道の道場がなくそれを行うことができなかったところ、武道場のある新校舎に移転して剣道の授業が可能になったためであるから、このことをもって、「エホバの証人」を嫌悪して特に剣道を必修としたということはできず、他にエホバの証人を嫌悪したと認められるような特段の事情も窺うことができないから、神戸高専において必修科目の体育の種目として剣道を選択したことに裁量権の逸脱又は濫用があったということはできない。
4 体育の単位を不認定としたことについて
(一) 本件においては、前述のとおり、原告らの体育の単位が認定されなかったことが、本件処分に至った重要な要件になっている。
そして、原告らは、その信じる「エホバの証人」の教義に従って、格技をスポーツとして許容することはできず、たとえ学校の体育の種目としてでも参加すべきでないと考え、剣道の授業の際に準備体操にだけ参加し、その後の剣道実技には参加せず、武道場の隅で自主的に見学していたところ、結果として第一学年の体育の単位の認定を受けられなかったものである。
ところで、高等専門学校の教育課程において、ある科目について単位を認定するかどうかは、教科担当者の極めて専門的かつ教育的な価値判断に属する行為であって、その見地から担当者に相当に広い裁量権が認められていると解されるが、その裁量権の行使に逸脱又は濫用があると認められるときには、右単位の不認定が違法とされることはいうまでもない。
そこで、体育の単位不認定に関して、格技の実習に参加しなかった理由が宗教上の信条に基づく場合にも、特別の扱いをせずに通常の不参加と同様の扱いをすることが、裁量権の逸脱又は濫用に当たるといえるかどうかが問題となる。
(二) 証拠によれば、神戸高専における体育の成績の評価方法及び原告らの体育の成績等について、次の各事実が認められる。
(1) 神戸高専においては、体育の授業は、四人の体育担当教員によって分担して実施されている。そして、その学業成績の評価は、その体育担当教員に委ねられているが、平均点が七〇点前後になるようにして教員間の統一を図っている。(<書証番号略>、被告本人尋問の結果)
(2) 同校においては、体育の学習成績の評価方法として、実施した全ての種目において合格点を取らなければ体育の単位が認定されないという評価方法を採らず、平素の受講態度も考慮に入れたうえで、全種目の合計点が合格点に達していれば体育の単位が認定される「総合評価方式」を採用している。
したがって、同校においては、剣道を受講しなくても、他の種目で努力をすれば、合格点を取ることが可能であった。(<書証番号略>、被告本人尋問の結果)
(3) 原告らは、授業時間当初の準備運動には参加したものの、その後は教員による「剣道はスポーツの一種である。」という説得にもかかわらず、剣道の実技に参加せず、自主的に道場内で見学した。なお、体育担当教員の説得の中には、剣道実技を履修しなければ単位を認定できないという趣旨の強い口調のものもあった。
そこで、体育担当教員は、一時限目は出席の扱いにして、そこで行った準備運動について五点の評価を与え、二時限目は欠席として扱った。(<書証番号略>、原告小林邦人及び被告各本人尋問の結果)
(4) 神戸高専における平成三年度の一年生のうち、剣道の受講を拒否した学生は一五人いたが、そのうち一〇人が体育で合格点を取得した。(<書証番号略>、被告本人尋問の結果)
(三) 以上の事実を総合すれば、原告らは、自己の信教上の信条を貫くためには剣道の実習に参加することができないという立場に置かれており、その剣道実技を受講しなければ体育の単位の認定が難しくなるということになるから、神戸高専が原告らに対して剣道実技の履修を求めることは、格技を禁ずる教義に反する行動を求めるのと事実上同様の結果となり、そのため、原告らの信教の自由が一定の制約を受けたことは否定することができない。
また、原告らは、実習にこそ参加していないが、準備体操までは一緒に行い、その後も、自主的にではあるが剣道の実技を見学していたところ、剣道実技に参加しなかったものと判断され、体育全体の点数が不足し、体育の単位が不認定となり、その結果、進級さえもできず、さらには退学処分を受ける可能性もあるという重大な結果が発生しているということができる。
(四) しかし、前述のとおり、剣道の履修義務自体は何ら宗教的意味を持たず、信教の自由を制約するためのものでもないうえ、神戸高専における体育科目の担当者は、体育の成績を評価するに当たり、剣道の実技への参加を拒否したという理由だけで直ちに体育の単位を不認定としたわけではなく、剣道実技への参加を拒否したため、剣道については、準備体操についてだけ五点(第一学年全体でみると二・五点)と評価し、現実に参加していない剣道実技について評価しなかったために、その一年間における授業や試験に基づく体育の点数の合計が五五点に達せず、総合評価の結果、体育の単位が認定されなかったというにすぎない。このように、体育担当者は、現実に参加しなかった剣道実技について評価しなかったというにすぎず、このことについて、剣道実技の受講拒否に対してことさら不利益を課したものと評価することはできない。
また、被告が必修種目として原告らに履修を求めたのは、その由来はともかく、現在においては健全なスポーツとして大多数の一般国民の広い支持を得ている剣道であるから、兵役又は苦役に従事することを求めたような場合と比べ、その信教の自由に対する制約の性質は全く異なるものであるとともに、その制約の程度は極めて低いといわざるを得ない。さらに、神戸高専においては単位認定の方法として総合評価方式を採っているため、原告らが神戸高専において第一学年で予定されているその他の種目(その割り当てられた点数の合計は六五点である。)について約八割の点数を獲得すれば単位の認定を受けることができたのであり、このことはかならずしも容易なことではないものの決して不可能なことではなく、現に平成三年度において、第一学年の剣道実技の受講を拒絶した一五人のうち三分の二に当たる一〇人が体育の単位を得た(この一五人のうちには、平成二年度に剣道実技の受講を拒絶して体育の単位が不認定となり第一学年に原級留置となった学生が原告らを含め五人いたが、そのうち三人が剣道実技の受講を拒否したにもかかわらず体育の単位を認定されている。)ことが認められるから、この被告の措置が原告らの信教の自由に与えた制約の程度はそれほど高いわけではないということができる。
(五) 原告らは、神戸高専において体育に当てられていた授業時間は全部で六〇時間であり、そのうち剣道の講義が行われた時間は平成三年度で一〇時間、同二年度で六時間であり、そのうち剣道に関する講義及び準備運動には原告らも参加していたのであるから、この被告の措置(処分)は不利益措置として余りにバランスを欠くと主張する。しかし、ある年に剣道の授業が現実に何時間行われるかは授業が行われる曜日と祝祭日との関係や学校行事との関係で異なってくるものであり、現実の授業時間と配点割合が異なっているからといってその間にバランスを欠くということはできず、また、独立して意味を持たない準備運動や剣道の講義について時間数に相当する評価をしないからといってバランスを欠くということはできない。
原告らは、宗教というものはそれを奉じる者にとっては、自己の拠って立つ基盤、生存そのものに匹敵する重要性を有するものであり、その宗教的信条に反する行為を行わせられることはその信仰者にとっては堪え難い苦痛で、過去の歴史をみても、宗教的信条に反する行為をするよりは死を甘んじて受けてきた人々がいるのであり、そして、このように何かをしてはならないという宗教的信条は同様の宗教的信条を同程度に有する者でなければ理解しがたいものであるから、そうでない他の人々が感じる尺度で、「当該行為は普通に行われているのだから、宗教的信条からあくまでもできないというのはおかしい」といってしまうことは、宗教上の少数派は多数派の考えるところや社会通念ないし社会常識なるものに従わなければならないことになり、憲法が保障したはずの信教の自由は日本においては享受できないことになってしまい許されないと主張する。
しかし、本件では、原告らの内心の自由である信仰心が問題とされているのではなく、学校という一つの社会において、原告らの宗教的信条に基づく行為と、他者の行為との調整が問題とされているところ、宗教的信条に基づく行為の自由も、社会生活上、その権利に内在する制約を免れないのであるから、原告らの主張は理由がない。
(六)(1) 逆に、剣道の実技に参加していないにもかかわらず、信教の自由を理由として、参加したのと同様の評価をし、又は、剣道がなかったものとして六五点を基準として評価したとすれば、宗教上の理由に基づいて有利な取扱いをすることになり、信教の自由の一内容としての他の生徒の消極的な信教の自由と緊張関係を生じるだけでなく、公教育に要求されている宗教的中立性を損ない、ひいては、政教分離原則に抵触することにもなりかねない。教育基本法九条一項に定める宗教に関する寛容等も、あくまで、この宗教的中立性を前提とするものであり、宗教に教育上の理由に対して絶対優先する地位を認めるものでない。
(2) 原告らは、剣道の点数について、剣道実技を行った他の学生たちの剣道の平均点と同じ点を与えよとか、剣道実技を行った学生たちのうちの最低の人の点と同じ点を剣道の点数として与えよと主張しているのではなく、剣道実技を欠席扱いにして〇点にすることは避けて代替措置などして、少なくとも単位認定可能な最低点を与えることはできるはずだと主張しているにすぎず、このような措置が剣道をすることで苦しんだわけではない他の宗教ないし無宗教の他学生と比較して有利になるわけではないと主張する。
しかし、通常なら行われない特別の取扱いをして単位を認定するのであるから、このこと自体有利な取扱いであることは否定できない。
(3) また、原告らは、政教分離原則は、いわゆる制度的保障の規定であって、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものであり、国家は宗教的に中立であることが要求されるが、国家と宗教との完全な分離は実際上不可能に近く、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生じるから分離といっても国家が宗教とのかかわりあいを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果に鑑み、そのかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものと解すべきであるから、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、その目的が、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮して社会通念に従って客観的に判断して宗教的意義を持つと評価でき、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉になるような行為に限られると解すべきところ、信教上の理由に基づいて剣道実技への参加を拒否した原告らの体育の点数について、剣道実技に参加していないにもかかわらず、参加したのと同様の評価をし、又は、剣道がなかったものとして六五点を基準として評価することは、その目的は、原告らの信教上の自由を擁護しつつ、しかも神戸高専における体育の設置目的に適うものであって、的を得た措置というべきで、その効果は原告らの信教を援助、助長、促進し又は他の学校に圧迫、干渉を加えるものとは認められないから、政教分離原則に反しないと主張する。
確かに、原告らの体育の単位を認定すること自体が宗教的意義を持つわけではなく、神戸高専が原告らの体育の単位の認定に際して剣道実技を履修したのに準じて評価したとしても、それが直ちに政教分離原則に反することになるわけではないことは原告らが主張するとおりである。しかし、原告らがその信じる宗教の根幹部分の実践として剣道実技の履修を拒否しているにもかかわらずそれを履修したのに準じて評価するとすれば、その宗教の実践に助力しているという評価もあながち不自然ということはできず、政教分離原則と緊張関係にあることを否定することはできない。仮に、受講していない剣道実技に対して履修したのに準じて評価することが政教分離原則に反しないと評価されたとしても、だからといって、逆に、そのような政教分離原則と緊張関係にある行為をすべきことが義務付けられるということはできず、緊張関係を回避するためにそのような行為をしなかったことについて裁量権の逸脱又は濫用があったということもできない。
(4) 原告らは、本件は、宗教上の良心と世俗的義務との衝突という点で良心的兵役拒否と国家の徴兵制度との関係に類似し、国家の存立に関わる基本的な義務である国防のための兵役義務を宗教上の理由から免除した場合にも政教分離に反するとされていないくらいであるから、必要性の乏しい格技の履修について宗教上の良心から履修できない原告らに特別の配慮をしたとしても政教分離原則に反することはないと主張する。
しかし、兵役義務と高等専門学校における剣道の履修義務とを同様にみることが相当でないのは前に述べたとおりである。また、良心的兵役拒否の場合は兵役義務の履行を強制しないということにつきるのに対し、本件の場合は、剣道履修の履行を免れただけでなく、それにもかかわらず剣道実技を履行したのに準じて評価をするようにということまで求めているのであるから、なおさら比較するのに相当な事例ということはできない。
(七) また、必修科目である剣道実技を履修しなかったにもかかわらず、剣道実技について点数を与えることになると、学校側において、履修拒絶が宗教上の理由に基づくものかどうか判断しなくてはならなくなるが、そうすると、必然的に公教育機関である高等専門学校が宗教の内容に深くかかわることになり、この点でも、公教育の宗教的中立性に低触するおそれがある。
なお、原告らは、宗教を個人の究極的関心事にかかわる心情及び体験と定義して、宗教かどうかの判断を高等専門学校が行うことは排除すべきであると主張するが、そうすると、宗教の定義よりも、より個人の内面に深く立ち入って、その心情が妥協を許さないものかどうかの判断を学校側にさせることになるから、このような見解は採用することはできない。
(八) 以上のように、原告らの受けた信教の自由に対する制約は、必要やむを得ないものであったと認められるから、被告がした原告らの体育の単位不認定の措置には、裁量権の逸脱を認めることはできない。
5 代替措置等について
(一) 原告らは、神戸高専では、教務内規において、学習成績は「学習態度、出席状況等を総合して評価するもの」とし、「科目担当教員は、必要に応じてレポート・・・等の成績を試験成績に加えることができる。」とし、教育的配慮を生かした柔軟な対応を採ることができるようになっていたのに、信教上の理由で剣道実技を履修することができない原告らの剣道の履修及び体育の単位認定に際し、体育担当教員がこれを活用しない態度を一貫して示したことは違法であると主張する。
(二) 証拠によれば、格技に対する代替措置等について、次の各事実が認められる。
(1) 原告ら及びその保護者は再三にわたり格技以外の代替種目の履修又はレポートの提出等の代替措置の実施を神戸高専に申し入れたが、同校では剣道実技の補講は実施したものの、原告らが参加できるような代替措置は採らず、原告らが自主的に提出した剣道のレポートも受領しなかった。(<書証番号略>、原告本人尋問の結果)
(2) 神戸高専では、病気その他の身体上の理由によって体育実技に参加できない場合には、見学やレポート提出などによって体育の単位を認定してきた経緯があった。(被告本人尋問の結果)
(3) 全国の高等学校や高等専門学校の中には、宗教上の理由等に基づいて格技に参加しなかった者について、見学、レポート、ランニング又はサーキットトレーニング等の代替措置を実施して体育の単位を認定したところが少なからず存在するが、それらの学校において、参加しなかった格技や代替措置についてどのような評価をして単位を認定されたかは必ずしも明らかではない。(<書証番号略>)
(三) しかしながら、そのような代替措置をとることも、前述のように、剣道に参加していないにもかかわらず参加したのに準じて扱うのと同様に、信教の自由を理由とする有利な扱いであり、さらに、代替措置の実施、安全確保等に人員や予算の確保が必要となることなどから、これらの代替措置をとらない限り違法であるということはできない。
前記認定事実によれば、神戸高専においては身体上の理由によって体育実技に不参加の学生には見学等によって単位を認定しており、信教上の理由による不参加の場合も同様の扱いをすべきでなかったかが問題となるが、身体上の理由によってそもそも体育実技に参加したくても参加することができない場合とそうでない場合とで異なった取扱いをするのは、合理的理由に基づくものということができる。
また、格技の代替措置を実施し体育の単位を認定した他校については、その代替措置に対してどのような評価をしたのか必ずしも明らかでないので、他校の措置をもって直ちに参考にすることはできない。
このように、被告が、原告らに対して、代替措置を採らなかったことが、違法であるということはできない。
6 本件処分の違法性について
(一) そこで、本件処分に裁量権の逸脱又は濫用があったかどうかについて検討する。
証拠(<書証番号略>、被告本人尋問の結果)によれば、本件処分について、前記認定事実のほか、次の各事実が認められる。
(1) 神戸高専における平成二年度の学年成績評価の結果、原告らを含む六名の剣道受講拒否者が体育の授業科目の単位が認定されなかった(原告らの体育の総合評価の評点が合格点未満であった。)ので、平成三年三月一四日に開催された第一次進級認定会議において、剣道受講拒否者に対し剣道の補講を実施することを決定した。
(2) 剣道の授業の補講は、平成三年三月一八日及び一九日に実施され、剣道実技の履修を拒否した六名のうち一名が参加したが、原告らを含む残り五名は参加しなかった。
(3) 平成三年三月二三日、第二次進級認定会議が開催され、補講を受けた一名は進級したが、補講を受けず体育の単位が認定されなかった原告らを含む五名の進級は認定されないことになり、この結果を受けた被告が原告らの第二学年への進級の不認定を決定した。
(二) 前述のとおり、神戸高専においては、被告の裁量権の行使の際の基準を定めた内規があり、被告が進級の認定をするためには、一科目でも不認定の科目があってはならないとされている。この内規自身に特段違法な点も認められないところ、被告は、右内規に定める手続に従い、二度にわたって進級認定会議を開催し、原告らの体育の単位を認定するについて慎重な手続をとったうえ、原告らの体育の単位が認定されず、その単位不認定とする体育担当教員の判定が相当であると確認したうえで、本件進級拒否処分をしたのであるから、この被告の処分に裁量権の逸脱又は濫用を認めることはできず、本件進級拒否処分にも何ら違法な点はない。
(三) 原告らは、神戸高専において、「進級及び卒業の認定は進級、卒業認定会議の審議を経て校長がこれを決定する。」、「学校は、教育上必要があると認めるときは、学生に対し懲戒を加えることができる。」と規定し、進級拒否及び退学処分について校長の権限としているのは、進級、卒業の認定あるいは退学処分が学校内規等により機械的に処理されるのを避け、具体的な事案に即して、学生の学習権を侵害しないよう、校長以下の教員の慎重な検討に委ねて、その最終的な責任・権限を校長に求める趣旨のものであるのに、被告は、学則ないし規定という学校側の管理必要上一方的に定められたにすぎないものを原告らに対して漫然と機械的に適用し、明らかにその裁量権を逸脱したものである旨主張する。
しかし、被告は、これらの規定を漫然と適用したのではなく、これらの問題を慎重に検討するために、二回にもわたる進級認定会議を開催して教員の意見を集約し、十分に審議したうえで、本件処分に至ったものであるから、漫然と処分をしたという原告らの主張は理由がない。また、剣道拒否及びそれに対して優遇措置をとった場合に他の学生間に広がる不公平感や動揺なども決して軽微なものということはできず、本件処分が要考慮事項を考慮しなかったということもできない。
(四) さらに、神戸高専は義務教育を行う学校ではないところ、原告らは自らの自由意思で入学したのであるから、その入学した神戸高専の存立及び活動等を保護するための内部規律によって、原告らの権利も一定の制約を受けるのはやむを得ないということができる。また、前記認定事実によると、被告は入学の説明等に際して、原告らを含む受験希望者らに対し平成二年度から剣道が必修になることを周知させる措置をとっており、原告らはそれを承知のうえ入学したのであるから、なおさら体育の単位不認定に関する原告らの信教の自由に対する不利益の程度は低いということができる。
原告らは、高専、高等学校における教育は法律上の義務教育ではないものの進学率が九五パーセントを超える国民レベルの普通教育になっているから、原告らに高専に入学しない自由の行使を求めるのは不当であり、また、原告らが入学前に神戸高専の剣道について知っていたことがらというのは、体育の科目に剣道が採り入れられたことだけであり、信教上の理由であっても剣道実技拒否が許されず、他の種目や見学、レポート提出等の代替措置が認められず、実技をしないなら剣道の評価はほぼ〇点になってしまうというおよそ宗教的不寛容かつ教育的無配慮に直面するなどとは考えてもいなかったのであるから、剣道実技が採り入れられたのを知っていたから制約の程度が低いということはできないと主張する。
しかし、右に述べたとおり、神戸高専において剣道が必修になることを周知させる措置を採っており、かつ、単位の認定につき学校側に幅広い裁量が認められる以上、入学後における学校側の配慮にどのような期待を持っていたかということは直接意味を有するものではないから、原告の主張は採用することはできない。
(五) 以上を総合すると、必修科目である体育の種目として剣道を採用したこと、その評価の割合を定めたこと等は、指導要領の大綱を示し、その中で各学校毎に時代に即応した適切な指導を行うことができるようにし、もって、高等専門学校教育の充実を図ろうとした趣旨にそうものであって、その趣旨を貫徹するため原告らの信教の自由が受けた前記不利益と比べて著しい不均衡があるということはできない。
(六) 以上のとおりであって、原告に対しレポートその他の代替措置を講ずることなく行った一連の被告の措置ないし行為が、原告らの信教の自由をある程度制約したことは否定できないものの、信教の自由全体、特に公教育の宗教的中立の要請から見ると、決して許容できない措置であったということまではいえない。
7 平等原則違反について
前述のとおり、被告は、原告らの信条によって特別扱いをしなかったのであり、そのような特別扱いをしなかったことに合理性がないわけではないから、本件処分が平等原則に反するということはできない。
8 教育を受ける権利について
原告らは、原告らが学生として憲法二六条や教育基本法三条に基づく教育を受ける権利、さらには、信教の自由を含む精神的自由の人権を十分尊重されたうえ、公正、平等な教育上の評価を受け、進級し、各学年の教育を受けることができるという内容を持った学習権が認められているが、被告が代替種目の履修を認めずにした本件処分によってその学習権が侵害されたと主張する。
確かに、憲法二六条が子供の学習権を規定しているのは原告らの主張するとおりであり、また、教育はその権利の充足を図りうる立場にある者の責務と解される。
しかし、そのことから、教育内容を誰がどのように決定するかが当然に導き出されるわけではなく、高等専門学校における教育内容は、前述のとおり、国の定める大綱に従って教師が裁量的に決定すべきものである。
そして、神戸高専においては、裁量権の逸脱及び濫用もなく、教育内容が適正に決定され運用されているのであるから、そのために、不利益が生じたとしても、学習権が侵害されたということはできない。
9 また、被告がエホバの証人の多数の入学を懸念していたと認め又は推認するに足りる証拠はなく、他にも本件処分が違法であることを窺わせるに足りる証拠はない。
第四結論
よって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九三条一項本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 辻忠雄 裁判官 吉野孝義 裁判官 北川和郎)